鶯谷書院

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江戸前期収録

『師説筆記』

メモ

後藤艮山述、門人の筆録になる医論集
写本(数種の異本あり)
京都大学貴重資料デジタルアーカイブで画像公開あり
データの定本は、大塚敬節校注『近世科学思想(下)』(岩波書店『日本思想大系』、1971)

後藤艮山(1659~1733)の名は達(とおる)、字は有成(ゆうせい)、俗称左一郎、別号養庵。

参考

 古方派の祖とされ、一気留滞説を提唱。
 湯熊灸庵とあだ名されるように、温泉、熊胆、お灸を積極的に活用した。その灸法は、息子の椿庵(1697~1733)があらわした『艾灸通説』に詳しい。
 弟子には、香川修庵・山脇東洋らがいる。長野仁「目でみる漢方史料館340 後藤艮山の門人帳『儒医姓名録』(『漢方の臨床』63-12、2016)を参照のこと。
 今井秀「後藤艮山を始祖とする「医家後藤家」の系譜と墓所の現状」(『漢方の臨床』67-3、2020)は墓所の詳細な研究。筆者(宮川)も墓参したことがあるので懐かしい。

【虚例】
 真元虚脱、肌膚血肉枯悴したる者、何ぞ異味の毒草を以て、これを補益すること有んや。然るに宋元以来の医家者流この事を不知して、虚を補と云て虚冷の人に服薬ばかりを用て、天性自然の大補たる肉味餌食を却てつよきに過るなどとて禁ぜり。かなしきの甚きこと也。故に今虚冷の人には肉味を食はしめて、其補益をとる、世医却て此を妄なりとす。誤れる哉。これも後世の医、各医を産業とする故、利をねがふの心そこにありて、やくにたたぬことばを以て説を飾り、ただ服薬をつとめて人命を殞すの罪を不知、謝を求むるに志つよき故に、妄に数十貼の薬を与へて、其謝の重からんことをねがふ。これ其産業とする処より覚へずかく也もてゆきけるの弊なり。病家もこれになれそみて薬を服せざれば、虚は補はれぬと思て、妄に医の説を信用して自誤をなす。かなしきこと也。毒薬虚冷に害は多なれども、補益となると云ことは決してなきこと也。。

(*ほんとうに虚脱している人には補の薬は役立たないばかりか害がある。もっとも補にはたらく肉を食わせるのがよい。薬を投与するのは、産業のためである。鍼灸にも補法というのがあるけど、補法をやったところで、飯を食わないで済むわけが無いのであるから、そろそろ補法と写法についてまじめに考えたほうが良いと思う。)

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